生存証明

 しばらく更新していなかったが、私自身は元気でいる。
 何も書いていなかったのは新型コロナのためにスポーツというスポーツが行われず、書くことがなかったということばかりではない。実は四月に、昨年に引き続いて身内を亡くし、心理的にも実務的にも大変でブログどころではなかった。
 することはまだ山ほどあるが、一ヵ月経って多少は心理的に落ち着いたかなと思っている。

 このところ新型コロナの感染者数は減少気味のようだ。それでまだまだ油断は出来ないが、コロナ以後のことを多少は考えるようになった。
 コロナ以後といっても、スパッと元に戻るということはあるまい。
 コロナ以前にはグローバル化とパーソナル化が世界の潮流としてあった。そのうちグローバル化がどうしても停滞するだろう。そしてパーソナル化はますます進むと考えられる。
 仕事や生活の中でもインターネットの役割はますます大きくなるだろう。例えばの話、テレワークってどこの国の話? と思っていただろう人の多くが、テレワークを経験してしまった。この経験した、ということは通勤する毎日に戻ったとしても大きいと思われる。通勤しなくても出来ることは、と頭の中の選択肢が増えただけでも。

 様々な人が様々な立場でコロナ以後を考え始めているだろう。株価はいつになったらどの程度戻るのか、とか。その前にガソリンの価格は、とか。

 私がいま思うのは、身内が亡くなった日が全国に緊急事態宣言が出る前で、曲がりなりにも葬儀が行えて良かったということだ。
 ようやくそんなことを思う余裕が出てきたところである。

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