木曜映画サイト 柘榴坂の仇討 広末涼子の話
広末涼子は1980年生まれ。デビューは1995年。
その後、またたく間にスターになった。ポケベルのCMに出て、歌を歌えばヒットし、数々のドラマで主演を務めた。早稲田大学に入学した時などマスコミが殺到するほどだった(のちに退学)。今で言うなら、広瀬すずと有村架純を足しても及ばないほどの人気、というか、社会現象があった。
私は、そうしたトップアイドルの騒動を冷ややかに見ていた。彼女の顔が、あまり好みではなかったからだ。それに、そこらへんの姉ちゃんとどう違うのか、よくわからなかった。
いや、あるいは私は、唐突に現れた新しいタイプの女性アイドルに対応できなかった、魅力がわからなかった、ということだったのかもしれない。
私が認識を改めたのは、1999年の「鉄道員(ぽっぽや)」ということになる。主人公である高倉健の娘役であり、幽霊というか雪女というか、微妙な役割を好演していた。演技力がある、と思った。さらに、そこらへんの姉ちゃんではなく、魅力的な色っぽいお姉さんになっていた。
その後、広末涼子は「秘密」では、娘の姿をしたまま心は妻という難役を演じた。「花とアリス」では、オーディションで審査する側にいながら、恋人から電話が来て慌てる役を好演。「おくりびと」では、チェリストから納棺師となった夫に次第に理解を示していく妻。「鍵泥棒のメソッド」では結婚に焦る三十代のキャリアウーマン。年齢に応じて役柄は変わっていったが、それに見事に対応していった。
さて、柘榴坂の仇討である。公開は2014年。
主人公である志村金吾(中井貴一)は、井伊直弼の近習に取り立てられるが、井伊は桜田門外で水戸浪士に打ち取られた。井伊を守れなかった志村は切腹が許されず、仇討をせよと命じられる。そのうち幕府は瓦解し明治になった。時代は変わったのに、志村は仇討の相手を探し続けた。そしてその間、志村は全く働いておらず、志村の収入はない。
さて、妻はどうするでしょう。
1)働きなさいと夫を責める
2)別れる。別な男とくっつく
現代だったらどちらかだと思うのだ。ところがこの妻はどちらでもない。
3)自分が働いて夫を助ける
それが広末涼子が演じた妻セツである。こうした貞淑で夫に尽くす妻、というのは現代ではなかなかいないと思う。もしこんな妻を存在させようとしたら、時代劇に場を設けるしかないと考えられる。
そんな、現代ではファンタジーとも思える妻を、広末は演じていた。
驚いたことに、この映画を観ていたら、広末涼子ではなく、妻セツが実際にいるような気分になった。広末の演技力の高さ、いや実は、いわゆる憑依型の女優だったのか、と感心した。
人とは変わるものだ。女性は特に。
アイドルスターだと思っていた広末涼子は、いつの間にか演技派実力派女優に変貌していたのだった。
その後、またたく間にスターになった。ポケベルのCMに出て、歌を歌えばヒットし、数々のドラマで主演を務めた。早稲田大学に入学した時などマスコミが殺到するほどだった(のちに退学)。今で言うなら、広瀬すずと有村架純を足しても及ばないほどの人気、というか、社会現象があった。
私は、そうしたトップアイドルの騒動を冷ややかに見ていた。彼女の顔が、あまり好みではなかったからだ。それに、そこらへんの姉ちゃんとどう違うのか、よくわからなかった。
いや、あるいは私は、唐突に現れた新しいタイプの女性アイドルに対応できなかった、魅力がわからなかった、ということだったのかもしれない。
私が認識を改めたのは、1999年の「鉄道員(ぽっぽや)」ということになる。主人公である高倉健の娘役であり、幽霊というか雪女というか、微妙な役割を好演していた。演技力がある、と思った。さらに、そこらへんの姉ちゃんではなく、魅力的な色っぽいお姉さんになっていた。
その後、広末涼子は「秘密」では、娘の姿をしたまま心は妻という難役を演じた。「花とアリス」では、オーディションで審査する側にいながら、恋人から電話が来て慌てる役を好演。「おくりびと」では、チェリストから納棺師となった夫に次第に理解を示していく妻。「鍵泥棒のメソッド」では結婚に焦る三十代のキャリアウーマン。年齢に応じて役柄は変わっていったが、それに見事に対応していった。
さて、柘榴坂の仇討である。公開は2014年。
主人公である志村金吾(中井貴一)は、井伊直弼の近習に取り立てられるが、井伊は桜田門外で水戸浪士に打ち取られた。井伊を守れなかった志村は切腹が許されず、仇討をせよと命じられる。そのうち幕府は瓦解し明治になった。時代は変わったのに、志村は仇討の相手を探し続けた。そしてその間、志村は全く働いておらず、志村の収入はない。
さて、妻はどうするでしょう。
1)働きなさいと夫を責める
2)別れる。別な男とくっつく
現代だったらどちらかだと思うのだ。ところがこの妻はどちらでもない。
3)自分が働いて夫を助ける
それが広末涼子が演じた妻セツである。こうした貞淑で夫に尽くす妻、というのは現代ではなかなかいないと思う。もしこんな妻を存在させようとしたら、時代劇に場を設けるしかないと考えられる。
そんな、現代ではファンタジーとも思える妻を、広末は演じていた。
驚いたことに、この映画を観ていたら、広末涼子ではなく、妻セツが実際にいるような気分になった。広末の演技力の高さ、いや実は、いわゆる憑依型の女優だったのか、と感心した。
人とは変わるものだ。女性は特に。
アイドルスターだと思っていた広末涼子は、いつの間にか演技派実力派女優に変貌していたのだった。
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