引退した選手にひとこと
富田晋伍
富田がレギュラーとして定着したのは2009年頃だっただろうか。当時ベガルタ仙台はJ2のクラブだった。その頃のベガルタはボールを奪われ危機になりかけると、まず梁勇基がボールを持った相手の前に立って縦を切った。そして相手は梁を避けて横パスからボールを繋ごうとするのだが、そこには富田がいた。そして、いつの間にか危機は危機でなくなり、ベガルタがボールを奪っていた。この「いつの間にか」にどれだけ助けられたかわからない。
金久保順
大宮-福岡-川崎F-仙台-京都-水戸。仙台に在籍したのは2015年から2018年途中まで。富田らと中盤を担ったが、次第にフェードアウトして京都に移籍した。貴重なサブメンバーだった印象が強い。お疲れさまでした。
大谷秀和
柏が2011年J1優勝した頃のキャプテン。ボランチが主戦場だが、どこにでもいたイメージがある。代表には縁が無かったが、素晴らしい選手、素晴らしいリーダーだった。彼の引退には柏のあの時代が終わったのだなと感じる。
鄭大世
Jリーグの様々なチームばかりでなく、ドイツでも韓国でも活躍した。しかし、川崎Fで台頭してきた頃の、「誰だ、あの強引にゴールを決めまくるパワフルFWは」という衝撃が忘れられない。北朝鮮代表としても脅威だった。忘れがたい選手。
中村俊輔
ご存じファンタジスタ。黄金の左足。そのフリーキックばかりではなく、スペースを探してピッチを走り続ける様は横浜Mでもセルティックでも日本代表でもお馴染みだった。それでいてワールドカップでは巡り合わせが悪く、それもあって常に葛藤を抱えていたようだ。まずこれまでサッカーファンを楽しませてくれたことに感謝したい。今後は良い指導者となるだろう。
鎌田次郎
鎌田がいた頃の仙台、2010年から2015年なのだが、ちょうどその真ん中辺あたりは仙台が一番強かったし、鎌田がいることで守備が安定していた。得点も時折決めていて、頼りになる、という言い方は鎌田のためにあった。柏でも相模原でも活躍したのだろうが、いい時期に仙台にいたと思っている。
水本裕貴
2008年の北京オリンピックにディフェンダーとして出場。その後、フル代表でも7度出場した。オリンピック予選を戦った頃はジェフにいてオシムチルドレンだったのだが、その後はG大阪、京都、広島、松本、町田、相模原と渡り歩いた。その中でも広島にいた時期が2011年から2019年の途中までともっとも長く、森保監督のもと、三度優勝した時期のレギュラーだった。対人に優れたディフェンダーだったのだが、代表でレギュラーが取れなかったかなあ、などと何か少し言いたくなるようなところもあった。
藤本淳吾
左足の司令塔として、清水-名古屋-横浜M-G大阪-京都-相模原で活躍。フリーキックの名手でもあったのだが、俊輔のいた横浜M在籍時はそれを見る機会がなく、もったいないなあ、と思っていた。
田中隼磨
横浜フリューゲルスのユースにいたらフリューゲルスが解散した、とか、横浜Mの先輩だった松田直樹が背負っていた3番を松本山雅で受け継いだ、とか、他にもいろいろあって随分ドラマティックなサッカー人生だった。映画化してくれないかと思う。
安田理大
愛嬌のある人物で、所属チームそれぞれで愛された。練習量が見た目に出るところがあって、ユン監督率いる鳥栖にいた2014年は明らかに締まった顔、体つきをしていた。私はこの年が彼のピークだったのではないかと思っている。
本田拓也
ホンタクも引退か。北京オリンピック世代が次々にいなくなる。清水のアンカーだった2008~2010、2013~2016が印象深い。
槙野智章
調子乗り世代の代表選手。サッカーに対しては真面目で素晴らしいディフェンダーだったのだろう。ただ、彼のような選手はピッチ外の情報が多くてサッカーがどうだったのかがぼやけがちで困る。毎回試合開始直前に手の平を見つめて何かを叫んでいたが、柏木が「あれはテレビに映りたいからやってる」みたいなことを言っていたのには笑った。
渡部博文
2015~2016年に仙台に在籍。2015年は前述の鎌田とコンビを組むことも多かった。彼のいた頃はディフェンスが良く、センターバックに良い選手がいることは重要だと認識させられた。最後はレノファ山口で引退したのだが、なんとレノファの社長になると言う。彼の経営能力は知らないが、ぜひディフェンス時の堅実さをフロントでも発揮していただきたい。
駒野友一
左右のサイドバックが出来て、代表でも長く活動した。広島や磐田で活躍したが、その後はF東京、福岡、今治に在籍。右サイドから自分で行くのかクロスを上げるかという手段、判断に優れていた。チームではいじられ役になることが多かったらしい。なんで駒野のような苦労人の好人物がW杯のPK戦で外すのかな、とあの時はそれが残念に思われた。
細川淳矢
仙台大学出身のディフェンダー。ベガルタ仙台に入団したが、ベガルタではあまり出場機会がなかった。その後に水戸で活躍。仙台に関わった選手がよそで花開くのは嬉しいのだが複雑なものだ。今治で引退。お疲れさまでした。
橋本英郎
様々なチームにいたのだが、1998年から2011年に在籍したG大阪時代の印象が強い。中盤で効いている選手だった。彼のインタビュー記事はわかりやすくてとても好きだった。最後はおこしやす京都でコーチ兼任。今後は良い指導者になるのではないか。
ハーフナー・マイク
マリノスユースにいた頃にU-18代表に選ばれた。背が高く目立っていたのだが、それほど頼りになるフォワードではなかった。その後、マリノスにトップ昇格したのだが活躍できず、口の悪いマリノスサポーターは、でくの棒などと呼んでいたのを覚えている。
福岡・鳥栖への期限付き・レンタル移籍の後に甲府にいたのが2010年から2011年。トラップが下手で不器用なストライカーだったが、長身を生かすばかりでなく倒れ込みながら足でゴールを決めるなどして活躍した。2010年は20ゴールで昇格の原動力となり、2011年三浦監督のもとでは甲府が降格した年でありながら17ゴールを決めた。日本代表にも選ばれ、不器用ながら長所を磨くことでトップストライカーとして成長していくのを目の当たりにした。
その後、オランダなどで活躍し日本に戻ってきた。2020年に甲府に戻って来た時は嬉しかったのだが、怪我の影響があったらしくあまり試合に出られなかったのは残念だった。
若い時から見て来た非常に思い出深い選手だ。
伊野波雅彦
伊野波というと思い出すのが2011年のアジアカップ・カタール戦。なんであの時伊野波がゴールを決める場所まで上がっていたのか不思議だった。クロアチアのクラブに移籍して給与未払いで帰国した時は話題になった。もちろんあちこちのJリーグクラブで活躍したのだが移籍を繰り返していたので、ここというクラブが思いつかなかったりする。
二川孝広
彼が遠藤とコンビを組んでいた頃のガンバは強かった。寡黙な性格は有名で、「(二川と遠藤は)言葉がいらないね」と解説の金田氏が話していた時には笑ってしまった。
富田がレギュラーとして定着したのは2009年頃だっただろうか。当時ベガルタ仙台はJ2のクラブだった。その頃のベガルタはボールを奪われ危機になりかけると、まず梁勇基がボールを持った相手の前に立って縦を切った。そして相手は梁を避けて横パスからボールを繋ごうとするのだが、そこには富田がいた。そして、いつの間にか危機は危機でなくなり、ベガルタがボールを奪っていた。この「いつの間にか」にどれだけ助けられたかわからない。
金久保順
大宮-福岡-川崎F-仙台-京都-水戸。仙台に在籍したのは2015年から2018年途中まで。富田らと中盤を担ったが、次第にフェードアウトして京都に移籍した。貴重なサブメンバーだった印象が強い。お疲れさまでした。
大谷秀和
柏が2011年J1優勝した頃のキャプテン。ボランチが主戦場だが、どこにでもいたイメージがある。代表には縁が無かったが、素晴らしい選手、素晴らしいリーダーだった。彼の引退には柏のあの時代が終わったのだなと感じる。
鄭大世
Jリーグの様々なチームばかりでなく、ドイツでも韓国でも活躍した。しかし、川崎Fで台頭してきた頃の、「誰だ、あの強引にゴールを決めまくるパワフルFWは」という衝撃が忘れられない。北朝鮮代表としても脅威だった。忘れがたい選手。
中村俊輔
ご存じファンタジスタ。黄金の左足。そのフリーキックばかりではなく、スペースを探してピッチを走り続ける様は横浜Mでもセルティックでも日本代表でもお馴染みだった。それでいてワールドカップでは巡り合わせが悪く、それもあって常に葛藤を抱えていたようだ。まずこれまでサッカーファンを楽しませてくれたことに感謝したい。今後は良い指導者となるだろう。
鎌田次郎
鎌田がいた頃の仙台、2010年から2015年なのだが、ちょうどその真ん中辺あたりは仙台が一番強かったし、鎌田がいることで守備が安定していた。得点も時折決めていて、頼りになる、という言い方は鎌田のためにあった。柏でも相模原でも活躍したのだろうが、いい時期に仙台にいたと思っている。
水本裕貴
2008年の北京オリンピックにディフェンダーとして出場。その後、フル代表でも7度出場した。オリンピック予選を戦った頃はジェフにいてオシムチルドレンだったのだが、その後はG大阪、京都、広島、松本、町田、相模原と渡り歩いた。その中でも広島にいた時期が2011年から2019年の途中までともっとも長く、森保監督のもと、三度優勝した時期のレギュラーだった。対人に優れたディフェンダーだったのだが、代表でレギュラーが取れなかったかなあ、などと何か少し言いたくなるようなところもあった。
藤本淳吾
左足の司令塔として、清水-名古屋-横浜M-G大阪-京都-相模原で活躍。フリーキックの名手でもあったのだが、俊輔のいた横浜M在籍時はそれを見る機会がなく、もったいないなあ、と思っていた。
田中隼磨
横浜フリューゲルスのユースにいたらフリューゲルスが解散した、とか、横浜Mの先輩だった松田直樹が背負っていた3番を松本山雅で受け継いだ、とか、他にもいろいろあって随分ドラマティックなサッカー人生だった。映画化してくれないかと思う。
安田理大
愛嬌のある人物で、所属チームそれぞれで愛された。練習量が見た目に出るところがあって、ユン監督率いる鳥栖にいた2014年は明らかに締まった顔、体つきをしていた。私はこの年が彼のピークだったのではないかと思っている。
本田拓也
ホンタクも引退か。北京オリンピック世代が次々にいなくなる。清水のアンカーだった2008~2010、2013~2016が印象深い。
槙野智章
調子乗り世代の代表選手。サッカーに対しては真面目で素晴らしいディフェンダーだったのだろう。ただ、彼のような選手はピッチ外の情報が多くてサッカーがどうだったのかがぼやけがちで困る。毎回試合開始直前に手の平を見つめて何かを叫んでいたが、柏木が「あれはテレビに映りたいからやってる」みたいなことを言っていたのには笑った。
渡部博文
2015~2016年に仙台に在籍。2015年は前述の鎌田とコンビを組むことも多かった。彼のいた頃はディフェンスが良く、センターバックに良い選手がいることは重要だと認識させられた。最後はレノファ山口で引退したのだが、なんとレノファの社長になると言う。彼の経営能力は知らないが、ぜひディフェンス時の堅実さをフロントでも発揮していただきたい。
駒野友一
左右のサイドバックが出来て、代表でも長く活動した。広島や磐田で活躍したが、その後はF東京、福岡、今治に在籍。右サイドから自分で行くのかクロスを上げるかという手段、判断に優れていた。チームではいじられ役になることが多かったらしい。なんで駒野のような苦労人の好人物がW杯のPK戦で外すのかな、とあの時はそれが残念に思われた。
細川淳矢
仙台大学出身のディフェンダー。ベガルタ仙台に入団したが、ベガルタではあまり出場機会がなかった。その後に水戸で活躍。仙台に関わった選手がよそで花開くのは嬉しいのだが複雑なものだ。今治で引退。お疲れさまでした。
橋本英郎
様々なチームにいたのだが、1998年から2011年に在籍したG大阪時代の印象が強い。中盤で効いている選手だった。彼のインタビュー記事はわかりやすくてとても好きだった。最後はおこしやす京都でコーチ兼任。今後は良い指導者になるのではないか。
ハーフナー・マイク
マリノスユースにいた頃にU-18代表に選ばれた。背が高く目立っていたのだが、それほど頼りになるフォワードではなかった。その後、マリノスにトップ昇格したのだが活躍できず、口の悪いマリノスサポーターは、でくの棒などと呼んでいたのを覚えている。
福岡・鳥栖への期限付き・レンタル移籍の後に甲府にいたのが2010年から2011年。トラップが下手で不器用なストライカーだったが、長身を生かすばかりでなく倒れ込みながら足でゴールを決めるなどして活躍した。2010年は20ゴールで昇格の原動力となり、2011年三浦監督のもとでは甲府が降格した年でありながら17ゴールを決めた。日本代表にも選ばれ、不器用ながら長所を磨くことでトップストライカーとして成長していくのを目の当たりにした。
その後、オランダなどで活躍し日本に戻ってきた。2020年に甲府に戻って来た時は嬉しかったのだが、怪我の影響があったらしくあまり試合に出られなかったのは残念だった。
若い時から見て来た非常に思い出深い選手だ。
伊野波雅彦
伊野波というと思い出すのが2011年のアジアカップ・カタール戦。なんであの時伊野波がゴールを決める場所まで上がっていたのか不思議だった。クロアチアのクラブに移籍して給与未払いで帰国した時は話題になった。もちろんあちこちのJリーグクラブで活躍したのだが移籍を繰り返していたので、ここというクラブが思いつかなかったりする。
二川孝広
彼が遠藤とコンビを組んでいた頃のガンバは強かった。寡黙な性格は有名で、「(二川と遠藤は)言葉がいらないね」と解説の金田氏が話していた時には笑ってしまった。
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