木曜映画サイト 「コッホ先生と僕らの革命」 ドイツはサッカー受容をどう思いたいのか

「コッホ先生と僕らの革命」はドイツにおけるサッカー受容に関する物語である。映画公開は2011年。時は1874年、コッホ先生はイギリス留学からドイツに帰り、ドイツのギムナジウムで英語を教える。彼はやがて英語ばかりではなくサッカーを生徒たちに教えるようになる。さまざまな困難を乗り越えて、彼はサッカーをドイツに根付かせることになる。

 コッホ先生はドイツに実在した人物である。ただし、ギリシア語・ラテン語の教師であり、サッカー以上にラグビーを伝えたいと思っていた、などと実態とは違いがある(wikipedia)。
 なぜ実態とは異なる映画が作られたのか。それは公開された2011年のドイツにおいてサッカーがどのように思われているか、それが反映されているからである。サッカー受容の物語がこんな内容だったら良いな、という、2011年の願望が映画として具現化されているのだ。

・イギリスは敵対国ではない。友好国である。
・ドイツは他国の原語を学び他国の文化を受け入れることができる。
・サッカーは体育教育とするに有効だ。
・サッカーは人々を平等にする。貴族も労働者もサッカーを楽しめる。
・サッカーは貧弱な体格の者も、肥満体質な者も、参加できる。
・サッカーは子供を大人にする。理不尽な親から独立させる。
・サッカーは資本家を育てることもある。
・そして、最後に勝つのはいつもドイツ。

 これらが2011年のドイツで、映画を通してサッカー受容物語に仮託されたものだ。
 もちろんこうした仮託はこの映画に、あるいはドイツに限った話ではない。日本でも多くの時代劇映画などに現代の問題や理想が仮託されてきた。過去を題材にしながら、いや過去を題材にしたからこそ現在の理想を盛り込むことが容易になる。それは映画に限らず、芸術の常套手段といって良いかもしれない。

 いつか、日本におけるサッカー受容の物語が、映画化、あるいはドラマ化されるかもしれない。
 恐らくそれは、日本においてサッカー受容の物語がこんな内容だったら良いのに、という願望が具現化されたものになることであろう。

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