木曜映画サイト 田宮二郎と白い巨塔

1965年 白い巨塔 小説完結 単行本発売
1966年 映画「白い巨塔」大映制作
1968年 続・白い巨塔 小説完結
1969年 続・白い巨塔 単行本発売
1978年 「白い巨塔」田宮企画・フジプロダクション制作(テレビドラマ)
1978年 田宮二郎、死去

「白い巨塔」と聞けば、2003年唐沢寿明主演のテレビドラマを思い出す人が多いかもしれない。2019年にも岡田准一主演でテレビ朝日がスペシャルドラマを放映したという。
 私にとって「白い巨塔」はまず1978年の田宮二郎主演テレビドラマである。そしてそのドラマを見て山崎豊子原作の小説を読んだ。当時の私は高校生。高校生というのは、今思うと感受性がとても高かった時期である。私の一部は「白い巨塔」で出来ている。

 私にとって田宮二郎は「白い巨塔」以前にまず、「クイズタイムショック」の司会だった(1969~1978)。この番組もその後司会者が何度か変わった。現在では中山秀征司会で記憶している人が多いかもしれない。
 かつてその「クイズタイムショック」で目の不自由な方が回答者として出場した会があった。回答者が、「声を聞けばその人の性格がわかります」、と言った。田宮二郎が「私はどうですか」と尋ねた。「一見、二枚目だが実は三枚目」、と回答者が答えた。「実はそうなんですよ」と田宮二郎が答えたのを覚えている(記憶に頼っているので自信は無い)。
 私は田宮二郎が俳優であることは当時から知っていた。ただ、「白い巨塔」以外のドラマを見た記憶はあまりない。ひょっとしたら「白い滑走路」あたりを見ていたのかもしれないが、もう記憶にない。
 リアルタイムで田宮二郎が演じる姿を覚えているのは、テレビドラマの「白い巨塔」だけである。

「クイズタイムショック」以前の田宮二郎は大映の映画俳優だった。映画の田宮二郎を私はほとんど見ていなかった。その中で「悪名」(1961~)シリーズを見たのは今から数年前。
 大映の看板俳優になる筈だった田宮二郎は大映と衝突し、解雇された。悪名高い五社協定により映画界に干されてテレビ界に転ずるのが1968年。
 1973年の映画「必殺仕掛人」も最近になって観たのだがこれは松竹制作。この頃には五社協定も無効になっていたのだろうか。

 さて、映画「白い巨塔」である。田宮二郎は大映のスター俳優として伸し上がって行く時期だった。それは「白い巨塔」の財前五郎が教授になろうと奮戦する物語と重なる。この時、田宮二郎は31歳。教授になろうという男を演ずるにはかなり若い。
 小説「白い巨塔」は胃癌手術の名手である財前が教授となり、誤診で訴えられるが勝訴する所で終わる。映画「白い巨塔」もそこまでしか描かれていない。
 その後、山崎豊子は、裁判で控訴され敗訴し財前自身が癌で倒れ亡くなる「続・白い巨塔」を書く。1978年のテレビドラマ「白い巨塔」はその続編までを描いた。田宮二郎は財前五郎が亡くなるまでを演じた。
 そして現実の田宮二郎は直後に自殺して亡くなった。

 さて、私がこの映画「白い巨塔」を録画で観たのは昨年だ。私が見たり読んだりした順番だと

1978年 「白い巨塔」田宮企画・フジプロダクション制作(テレビドラマ)
1978年 田宮二郎、死去
1965年 白い巨塔 小説完結 単行本発売
1968年 続・白い巨塔 小説完結
1969年 続・白い巨塔 単行本発売
1966年 映画「白い巨塔」大映制作

ということになる。もう時系列ぐちゃぐちゃである。
 映画の「白い巨塔」は前述した通り、金の力で教授になった財前五郎が権力を手にして裁判に臨み、庶民の患者を踏みつける形で終わる。正義の人である里見は大学を去り、悪漢が勝利して終わるのだ。この映画では、財前五郎の義父である産婦人科医・財前又一を演じた石山健二郎が印象深かった。「金ならなんぼでも出します」と名誉を金で買う男を熱演していた。
 社会的な責任を考えて山崎豊子は続編を書いた。悪漢は裁判に敗れ病に倒れた。テレビドラマもそれを踏襲した。そして1978年のテレビドラマ終了直後に田宮二郎は猟銃自殺した。山崎豊子が田宮二郎の死は燃え尽き症候群(バーン・アウト)によるものではないか、と推測していたのを記憶している。

 これが私の個人的な「白い巨塔」と「田宮二郎」の体験記である。
 私の世代では、割にありがちな体験だったのではないかと思う。しかし、五歳も歳が違えば「何言ってんだ、この人」というものであろう。
 ただ、もしこの私の書いた文章を読んで何かしらの興味を得た人がいたら、映画の「白い巨塔」を観てほしいのである。
 田宮二郎と言う名優と、田宮二郎と言う名優を生んだ時代を実感できるに違いない、と思うからである。

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