引退した選手に一言

小野伸二
 天才。小野がいたために、他の誰も、中田も俊輔も小笠原も遠藤も憲剛も天才と呼ばれることはなかった。怪我が無ければとはよく言われたが、天才という言葉は悲劇性を伴うものである。
 怪我の後でも彼のプレーは驚異的だった。なぜそこへパスが出せるのだろう。なぜそこへパスを出そうと思いつけるのだろう。彼のプレーを見る度にそうした思いに捉われたものだ。

梁勇基
 ベガルタ仙台のレジェンド。優れたパスセンス、正確なフリーキック。どれをとっても一級品。だが最初に私が驚愕したのは彼の守備だった。ボールを相手ディフェンダーが持っていると、その前には必ず梁が立っていた。恐るべき走力。鬼神のようだと感心したものである。

クォンスンテ
 元韓国代表ゴールキーパー。鹿島アントラーズには2017年から在籍。曽ヶ端とのレギュラー争いの後、最後尾で鹿島を支えた。時に憎らしいほどの強さを見せた鹿島の守護神だった。正直、クォンスンテのいない鹿島は物足りないのである。

南雄太
 1998年から2009年まで柏に在籍。柏を離れた後も柏サポーターに愛された。2004年自陣のゴールに投げ入れた衝撃的なオウンゴールが伝説となっている。引退会見で自身でその解説をしており、真摯な人柄が感じられた。柏の後は熊本、横浜C、大宮で活躍。それぞれの地で愛された。

太田宏介
 2006年~2008年まで横浜C。その後清水に移籍。その清水で出て来た頃、プレー中に随分恐い顔をしている選手だな、と印象に残った。するとあれよあれよという間に代表選手となり、F東京を経て海外移籍をしていった。プレー中に恐い顔をしている選手は出世する。

遠藤保仁
 逆にプレー中にへらへらにたにたしていた偉大な選手というと遠藤しか思いつかない。彼は何か存在している時間軸が常人とは異なっていたのではないかと私は疑っている。ところで先日、「なぜボランチはムダなパスを出すのか? 」という本を読んだのだが、半分くらいは遠藤保仁のプレーに対する解説礼賛本だった。ヤットファン必読。

大津祐樹
「大津祐樹を止めないで」は柏チャント。柏在籍は2008~2011、2015~2017。他に海外クラブ、横浜M、磐田で活躍。
 ロンドンオリンピックで3得点したのは2012年。そうか、もう12年前か。あの世代が引退するようになったのかと思うと感慨深い。

柏木陽介
 広島、浦和、岐阜で活躍。主に攻撃的MFの名選手。いくらか本音を話し過ぎる所があって、そこが好かれたり好かれなかったり。
 ザッケローニの頃とハリルホジッチの頃の代表で出場したが定着しなかったのは残念。

田中順也
 左足からの素晴らしいシュートの持ち主。TJと書かれたりした。海外、神戸、岐阜で活躍したが、柏のイメージが強い。やはり柏優勝時のフォワードなので。彼も代表では定着しなかった。この辺りは運もあるのかなと思う。

林卓人
 2007年途中から2013年までベガルタ仙台。ベガルタ仙台の2009年J2優勝、2012年の2位。ベガルタ仙台が最も強かった頃の正ゴールキーパー。彼が去ってからベガルタはJ1で年間一桁順位になったことがない。やがてJ2降格し現在に至る。林がいた頃は良かった、のである。その後、広島に戻って活躍。
 日本代表に選ばれたこともあるのだが、出場は無し。それが残念でならない。

柴崎晃誠
 東京Vにいて、川崎Fにいて、と思っていたらいつの間にか広島で定着していた(2014~)。柴崎が広島の中盤にいるのが当たり前の気分でいた。
 広島の育成部コーチに就任するとのこと。良い選手を育てることであろう。

田邉草民
 え、何て読むのその名前、そうたん? え、意味は? そこから注目していた。正直、FC東京から海外に行くとは思っていなかった。サバデルでも活躍したようである。和食派なのか。スペインなら米もあるのか魚もうまいのか。
 帰国後はFC東京、アビスパ福岡で活躍。双方で愛された。

工藤浩平
 オシムチルドレンが次々と引退していく。時は流れる時代はまわる。中盤で居所が掴みにくい厄介な選手だった印象がある。
 ジェフでコーナーキックを蹴っていた時期があって、その時だけは他に誰かいないのかなと思った。

茂庭照幸
 親しみの持てる性格で、FC東京でもセレッソ大阪でもサポーターに愛された。もちろん優れたセンターバックだったのだが、ワールドカップに急遽呼ばれた時のバタバタとか、愛車のランドクルーザーを盗まれた話とか、ピッチ外の話題にも事欠かなかった。

中町公祐
 2012年、樋口監督のもと、横浜マリノスがあと一歩で優勝、となった時の中盤レギュラー。2019年からなぜかザンビアリーグに移籍した。見た目はあまり癖のない人なのだが、自分の常識では測れない人だと思っている。

長谷川悠
「俺たちの長谷川悠 長谷川悠 ゴールを奪え」
 モンテディオ山形にいたのは2008年から2011年。その間、小林伸二監督の薫陶を受け、山形のJ1昇格、J1定着に貢献した。長身でヘディングが強かった。2得点と活躍した大宮-山形戦はよく覚えている。その後、その試合で活躍したせいか知らないが大宮に移籍。
 私事だが、私の昔の職場の割と偉い人に○○ゆうという名前の人がいた。「俺たちの○○ゆう ○○ゆう 予算を奪え」と替え歌を作ったことがある。

上田康太
 磐田でトップチームに昇格したのが2005年。いいボランチが出て来たな、と思っていたら大宮に移籍。大宮で見なくなったと思ったら岡山に移籍。その後磐田に復帰したり岡山に復帰したり。それぞれに活躍した。中盤にいる、と思っていたらいつの間にかゴールに絡んでいたり、油断ならない選手だった。最後はクリアソン新宿。思っていた以上に長く現役を続けていた。

イ・グノ
「どこまでイグノ」とは早野宏史氏の駄洒落。2009年磐田デビュー戦で2ゴールするなどJリーグ登場時は鮮烈だった。2010年途中からG大阪に移籍してそこでも活躍。2012年からは主に韓国で活躍。
 早野さんではないが、当時いったいこの韓国人は何点取るのだろう、と思っていた。

李忠成
 まず思い出すのは2011年アジアカップ決勝のボレーシュート。あれ以降の日本はアジアカップで優勝していないのだから、李忠成は日本にアジア杯をもたらした最後の英雄である。ところで最近は「ホラリラロ」も説明しないと通じないのだろうか。もちろん李は広島や浦和などでも名選手だった。広島ではラーメン師範、盛田剛平の助手を務めている。

岩渕真奈
 引退会見は昨年9月。すでに解説者として活躍中。若いうちにやめた、とも思うが女子高生の頃から活躍しているので長い間プレーを見ていた気もする。可愛らしい顔立ちなのだが、彼女もプレー中は恐い顔をしていた。怪我が多く、あのスピードとアジリティに肉体が耐えられないのではないかと思っていた。

高原直泰
 選手現役引退発表は昨年8月。磐田にいた頃のイメージが強く、日本代表のエースフォワードでもあった。ドイツでは連続無失点記録継続中だったオリバー・カーンからゴールを奪うなど派手な活躍をした。その一方でボカ・ジュニアーズ在籍中にトヨタカップメンバー落ちとか、エコノミークラス症候群のためにW杯メンバーから外れたりとか苦労もあった。現在は沖縄SVで代表取締役兼監督をすると同時にコーヒー農家をしているらしい。引退後も単純ではないところが高原らしい。

この記事へのコメント