オリンピック 印象に残ったことをいくつか
そんなに見ていたわけではなかった。その中でいくつか思ったことを書いておく。
日本代表選手(たち)が、2-0から2-3に引っ繰り返されて負ける試合をいくつか見た。
私が中学生の時の校長先生はセットカウント1-2で負けると、「実力がないのではない。根性がないのだ」と怒ったものである。1970年代の頃だ。
私は根性論は嫌いだ。2-0から2-3で負けたのは根性がなかったからではなく、2-0にするのが精一杯の実力だったのだろうと思う。我、奇襲ニ成功セリ、サレドモ……、といったところか。
なお、2-0から2-3になって負けて、私が感動するということはない。そんな負け方を見て感動をありがとうなんて頭がおかしいんじゃないか。
体操女子
スポーツはルールの中で行うものだ。だから、日本だけのローカルなルールであっても、他人には軽微に見えるものでも、それが明示されたルールであるなら、それを破った時に罰則があっても間違いとは思わない。
ただ、これが罰則ではなく本人の辞退という結果にしたのはもやもやしたものを残した。だが、話せないことが何かしらあったのだろうと推測する。推測だからここでは書かない。
競泳
競泳は銀1個。かつてよりも明らかに力が落ちている。荻原智子氏が書いたことが話題になったが、感情面はともかくとして、事実認識は彼女が書いた通りと思う。
柔道
一番印象に残ったのは柔道団体、敗者復活戦の韓国対ウズベキスタンの6試合目。韓国AN Baul 対 ウズベキスタンYULDOSHEV Murodjon。
投げ技では技ありもなさそう。どちらかが倒れても寝技に入らず。双方決め手がない。時々韓国選手のほうが背負い投げをするふりをする。だが、掛けた手がすぐ外れて投げた側がうずくまる形になる。
解説者は、「解説をするのに困ります」とか、「見ていて面白くないと思いますが」と匙を投げた格好。オリンピックJudoは引き分けが無い。さてそれで、私はこの何も起きない終わりそうにない試合がどんな結末を迎えるのか、そこに興味が湧いてずっと見ていた。
結局、韓国選手の投げたふりのほうが積極性があり、ウズベキスタン選手は消極的とされてペナルティー三回。韓国選手の勝利となった。ゴールデンスコア(延長時間)8分37秒、総試合時間は12分37秒に及んだ。いやしかし、長かった。
体操
男子種目別鉄棒決勝。
岡慎之助の演技が終わって、点数を見た時には、メダルが取れれば良いなぐらいに思っていた。つまり金メダルが取れそうな演技・点数ではないと感じていた。
ところがその後の有力選手が、次々と落下したり着地に失敗して手をついたり。それで岡慎之助の一位・金メダルで終わった。
オリンピックには魔物がいるというが、少なくとも鉄棒には間違いなく魔物がいた。
レスリング
レスリング女子50キロ級
須藤優衣が一回戦負けをした時のインタビューで、「自分を支えてくれた人たちに対して申し訳ない」と謝っていた。その謝り方があまりに真に迫っているというか、目の前に線路があったら飛び込んでしまうんじゃないかというくらい悲痛で大丈夫かと思った。その後、銅メダルを取り、ああよかったよかったと、本当に安堵した。
スポーツクライミング
女子複合
森秋彩を初めて見た時はびっくりした。なんで子供がここにいるのかと思った。顔つきにしても1メートル54の身長にしても、20歳には見えなかった。20歳ならお酒のCMに出てきてもおかしくないわけか。いや、出ないだろうが。
例のボルダーの第1課題、低身長のために直上のホールドも掴めずに0点だったことについて。セッティングはルールの範囲内なのだろう。それにしても露骨に排除されたなあ、と思った。もっとも識者によると、高身長では不利になるセッティングもあったということである。低身長者をあえて排除する理由もない、とも(スポニチ)。
様々な意見が出ているようだが少なくとも、身長別に競技しろ、というのはどの選手も望んでいないだろう。
セッティングのルールについては私が知らないだけで明示はされているのだろう。それで私が思うのは、低身長が不利でも高身長が不利でもよいのだが、せめて門前払いに見えるセッティングはよしたほうが良いのではないかということだ。それは競技者のためというより見る人のためだ。観客を入れてテレビで放映しているのだから。
日本代表選手(たち)が、2-0から2-3に引っ繰り返されて負ける試合をいくつか見た。
私が中学生の時の校長先生はセットカウント1-2で負けると、「実力がないのではない。根性がないのだ」と怒ったものである。1970年代の頃だ。
私は根性論は嫌いだ。2-0から2-3で負けたのは根性がなかったからではなく、2-0にするのが精一杯の実力だったのだろうと思う。我、奇襲ニ成功セリ、サレドモ……、といったところか。
なお、2-0から2-3になって負けて、私が感動するということはない。そんな負け方を見て感動をありがとうなんて頭がおかしいんじゃないか。
体操女子
スポーツはルールの中で行うものだ。だから、日本だけのローカルなルールであっても、他人には軽微に見えるものでも、それが明示されたルールであるなら、それを破った時に罰則があっても間違いとは思わない。
ただ、これが罰則ではなく本人の辞退という結果にしたのはもやもやしたものを残した。だが、話せないことが何かしらあったのだろうと推測する。推測だからここでは書かない。
競泳
競泳は銀1個。かつてよりも明らかに力が落ちている。荻原智子氏が書いたことが話題になったが、感情面はともかくとして、事実認識は彼女が書いた通りと思う。
柔道
一番印象に残ったのは柔道団体、敗者復活戦の韓国対ウズベキスタンの6試合目。韓国AN Baul 対 ウズベキスタンYULDOSHEV Murodjon。
投げ技では技ありもなさそう。どちらかが倒れても寝技に入らず。双方決め手がない。時々韓国選手のほうが背負い投げをするふりをする。だが、掛けた手がすぐ外れて投げた側がうずくまる形になる。
解説者は、「解説をするのに困ります」とか、「見ていて面白くないと思いますが」と匙を投げた格好。オリンピックJudoは引き分けが無い。さてそれで、私はこの何も起きない終わりそうにない試合がどんな結末を迎えるのか、そこに興味が湧いてずっと見ていた。
結局、韓国選手の投げたふりのほうが積極性があり、ウズベキスタン選手は消極的とされてペナルティー三回。韓国選手の勝利となった。ゴールデンスコア(延長時間)8分37秒、総試合時間は12分37秒に及んだ。いやしかし、長かった。
体操
男子種目別鉄棒決勝。
岡慎之助の演技が終わって、点数を見た時には、メダルが取れれば良いなぐらいに思っていた。つまり金メダルが取れそうな演技・点数ではないと感じていた。
ところがその後の有力選手が、次々と落下したり着地に失敗して手をついたり。それで岡慎之助の一位・金メダルで終わった。
オリンピックには魔物がいるというが、少なくとも鉄棒には間違いなく魔物がいた。
レスリング
レスリング女子50キロ級
須藤優衣が一回戦負けをした時のインタビューで、「自分を支えてくれた人たちに対して申し訳ない」と謝っていた。その謝り方があまりに真に迫っているというか、目の前に線路があったら飛び込んでしまうんじゃないかというくらい悲痛で大丈夫かと思った。その後、銅メダルを取り、ああよかったよかったと、本当に安堵した。
スポーツクライミング
女子複合
森秋彩を初めて見た時はびっくりした。なんで子供がここにいるのかと思った。顔つきにしても1メートル54の身長にしても、20歳には見えなかった。20歳ならお酒のCMに出てきてもおかしくないわけか。いや、出ないだろうが。
例のボルダーの第1課題、低身長のために直上のホールドも掴めずに0点だったことについて。セッティングはルールの範囲内なのだろう。それにしても露骨に排除されたなあ、と思った。もっとも識者によると、高身長では不利になるセッティングもあったということである。低身長者をあえて排除する理由もない、とも(スポニチ)。
様々な意見が出ているようだが少なくとも、身長別に競技しろ、というのはどの選手も望んでいないだろう。
セッティングのルールについては私が知らないだけで明示はされているのだろう。それで私が思うのは、低身長が不利でも高身長が不利でもよいのだが、せめて門前払いに見えるセッティングはよしたほうが良いのではないかということだ。それは競技者のためというより見る人のためだ。観客を入れてテレビで放映しているのだから。
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