木曜映画サイト 「続・男はつらいよ」恩師は黄門様
「続・男はつらいよ」は1969年公開。「男はつらいよ」シリーズの2作目。「男はつらいよ」一作目の好評から二作目が作られたわけだが、この当時はまだ「男はつらいよ」をシリーズ化する予定はなかったらしい。
車寅次郎の恩師、散歩先生は現在英語塾で教えている。寅さんはその恩師の娘に惚れる。その後、寅さんは病院に入院したり警察に連行されたりする。そして、寅さんは例によって旅に出る。
寅さんが京都で啖呵売をしていると、旅行中の恩師親子と再会。寅さんの実母が京都にいると話すと、親子は是非会いに行けと背中を押す。恩師の娘と寅さんが実母に会いに行くと、「瞼の母」はけんもほろろな対応で、と物語は続く。
この恩師役が東野英治郎だった。
私の世代で東野英治郎(1907-1994)というと黄門様である。テレビドラマ「水戸黄門」の主役、初代水戸光圀だ。初代は第一部~第十三部、放映は1969年から1983年。
「カッカッカッ」「この年寄りに話して下さらんか」「助さん、格さん、存分におやんなさい」「この紋所が目に入らぬか(これは格さんのセリフ)」「はは~~(悪者たち)」
である。人生楽ありゃ苦もあるさである。
というわけで、「黄門様が寅さんの恩師かぁ」「黄門様がマドンナの父親かぁ」と思いながら観ていた。
東野栄治郎はもともとは舞台役者だった。戦前から舞台に立ったが戦後は俳優座に所属。一方でとても多くの映画に出演した。ほとんどは脇役である。個人的には「キューポラのある街(1962)」で吉永小百合演ずる主人公ジュンの父親、石黒辰五郎を演じたのが印象深い。
以前に紹介した映画版「白い巨塔(1966)」では、弟子である財前五郎助教授の教授昇進を阻もうとする東貞蔵教授を演じていた。
1970年前後を境にして、映画界の斜陽化は顕著になった。すると映画俳優たちがテレビドラマへと雪崩を打って移動していった。東野英治郎もそうした中の一人である。
この「続・男はつらいよ」と水戸黄門第一部が同じ1969年だったというのは何やら感慨深い。
そして斜陽化した映画界の中で、「男はつらいよ」は必ず客を呼べるドル箱シリーズとして回を重ねていくのである。
財前五郎を唐沢寿明が演じた2003年の「白い巨塔」では東教授を石坂浩二が演じていた。
石坂浩二は第四代(第29部~第30部、2001~2002)の黄門様である。このあたり、ちょっと因縁めいていて面白い。
車寅次郎の恩師、散歩先生は現在英語塾で教えている。寅さんはその恩師の娘に惚れる。その後、寅さんは病院に入院したり警察に連行されたりする。そして、寅さんは例によって旅に出る。
寅さんが京都で啖呵売をしていると、旅行中の恩師親子と再会。寅さんの実母が京都にいると話すと、親子は是非会いに行けと背中を押す。恩師の娘と寅さんが実母に会いに行くと、「瞼の母」はけんもほろろな対応で、と物語は続く。
この恩師役が東野英治郎だった。
私の世代で東野英治郎(1907-1994)というと黄門様である。テレビドラマ「水戸黄門」の主役、初代水戸光圀だ。初代は第一部~第十三部、放映は1969年から1983年。
「カッカッカッ」「この年寄りに話して下さらんか」「助さん、格さん、存分におやんなさい」「この紋所が目に入らぬか(これは格さんのセリフ)」「はは~~(悪者たち)」
である。人生楽ありゃ苦もあるさである。
というわけで、「黄門様が寅さんの恩師かぁ」「黄門様がマドンナの父親かぁ」と思いながら観ていた。
東野栄治郎はもともとは舞台役者だった。戦前から舞台に立ったが戦後は俳優座に所属。一方でとても多くの映画に出演した。ほとんどは脇役である。個人的には「キューポラのある街(1962)」で吉永小百合演ずる主人公ジュンの父親、石黒辰五郎を演じたのが印象深い。
以前に紹介した映画版「白い巨塔(1966)」では、弟子である財前五郎助教授の教授昇進を阻もうとする東貞蔵教授を演じていた。
1970年前後を境にして、映画界の斜陽化は顕著になった。すると映画俳優たちがテレビドラマへと雪崩を打って移動していった。東野英治郎もそうした中の一人である。
この「続・男はつらいよ」と水戸黄門第一部が同じ1969年だったというのは何やら感慨深い。
そして斜陽化した映画界の中で、「男はつらいよ」は必ず客を呼べるドル箱シリーズとして回を重ねていくのである。
財前五郎を唐沢寿明が演じた2003年の「白い巨塔」では東教授を石坂浩二が演じていた。
石坂浩二は第四代(第29部~第30部、2001~2002)の黄門様である。このあたり、ちょっと因縁めいていて面白い。
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