木曜映画サイト 「嘆きの天使」とワイマール共和国

「嘆きの天使(1930)」は古いドイツ映画だ。
 どれくらい古い映画かと言えば、小森和子がこの映画の主演、マレーネ・ディートリッヒを憧れの女性と言っていたくらいである。

 不安になるのだが、上記の文章を読んで意味が通じただろうか。
 私と同世代(六十代前半)か、それよりも±20歳くらいなら、小森のおばちゃまと言って誰のことか通じるだろう。だが、そこから外れると全く知らないかも、とも思える。
 なお、マレーネディートリッヒ(1901-1992)、小森和子(1909-2005)、である。小森和子は映画評論家だ。1980年代~1990年代にバラエティ番組などに多く出演していた、その当時のお婆ちゃんだ。当時のお婆ちゃんの憧れの人なら、そのさらに年上ということである。

「嘆きの天使」のあらすじ。
 ドイツに堅物の英語教師がいた。彼は、彼の教え子が街のキャバレーに日参していることを知る。そこで注意しようと自身がそのキャバレーに行く。そしてそこの踊り子ローラに教師自身が"参って"しまう。教師は仕事をやめて踊り子と結婚し、キャバレーのメンバーと行動を共にする。
 簡単に言えば、堅物の教師が時ならぬ恋をして身を持ち崩していく物語である。当然、そのきっかけとなる踊り子は、とても魅力的な色っぽい女でなければならない。それがマレーネ・ディートリッヒだった。

 さて、1930年とはどんな年であっただろうか。
 ドイツはワイマール共和国の頃だった。ドイツは第一次世界大戦に敗れた後、当時画期的な民主憲法を制定した。その国民会議が開かれた地の名からワイマール憲法、その憲法下にあった時期をワイマール共和国という。
 ワイマール共和国は初期にインフレで苦しみ、敗戦国として賠償金にも苦しんだ。しかしやがてアメリカ資本も入り持ち直す。1920年代には好況となる。
 しかし、1929年世界恐慌が起きる。アメリカ資本はドイツから引き上げ不況に陥った。政治経済の混乱の中で、やがてナチスが台頭する。1933年、ヒトラー内閣によりワイマール憲法はその効力を失った。

 たまたまなのだが、私が「嘆きの天使」を見た直後に、NHKの「映像の世紀」でワイマール共和国を取り上げていた。
 そこでは、ドイツ黄金の20年代におけるナイトクラブの映像が流されていた。これが凄かった。ほとんど裸同然の若い女性たちが何十人も演舞し乱舞するのである。お色気とかいうレベルではない。性の爛熟とでも言うべきものだった。
 世界恐慌がドイツに訪れるにはタイムラグがあった。1930年は恐らくこの性の爛熟文化がぎりぎり残っていた時期である。この映画から数年後のナチス政権下では、この映画は有り得なかったと思われる。

「嘆きの天使」で成功した監督スタンバーグと、主演マレーネ・ディートリッヒはアメリカに渡る。ナチスを嫌ったディートリッヒはアメリカからドイツに戻らなかった。その後にアメリカの市民権を得た。第二次世界大戦中には、アメリカ軍の慰問を行った。
 ドイツ人の中には、そんなディートリッヒを裏切り者とみなした人もいた、と鈴木明氏が 『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』に書いていた。なお、ディートリッヒは1970年の大阪万博でショーを行っている。

「嘆きの天使」でのマレーネ・ディートリッヒの妖艶さは、ワイマール共和国が生んだものだったのだな、などと今更ながらに思うのである。
 なんで今更ながら、などと書くのかと言えば、なにしろ1930年の名画である。傑作映画をその時代背景の中で捕らえるなどということは芸術評論の常道だ。だから、私がここで書いたようなことはとっくの昔に多くの映画評論家が書いていたに違いないのである。
 小森和子も何かしらを書き、何かしらを語っていたであろう。私が寡聞にして知らないだけのことである。

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