長嶋茂雄死去
長嶋が亡くなった。
敬称略で書く。自分の意識では長嶋としか言えないのだ。長嶋と言えば他にいないのだ。それだけ長嶋茂雄は巨大なイメージなのだ。
野球ファンの一人として、彼が亡くなったことに対して、私は何か書かなければならないという義務感にさらされている。彼はそんな存在だった。
私は1960年代の前半に生まれた。長嶋の選手引退は1974年。私が小学校高学年の時だ。私は彼の現役時代になんとか間に合った世代である。
あの頃、私はアンチ巨人だった。
テレビで毎日巨人戦ばかりやっていた。そしてテレビが当時最大の娯楽だった。私の周囲は9割が巨人ファンで1割がアンチ巨人だった。
彼が現役だった頃の巨人は強かった。引退する前年の1973年まで9年も日本一であり続けた。昨日と同じように巨人は勝ち、今日と同じように明日も勝つ。毎日毎日勝ち続ける。それが嫌でならなかった。強いものが、ただ強いものが勝ち続ける絶望的な日々が、いつまでもいつまでも続くように思われた。そしてたまに巨人が負けると梅雨の間の晴れ間に出会ったような気分になる。それが当時のアンチ巨人だった。
やっと1974年に連覇が終わった。その時は嬉しかった。そしてその年に長嶋が引退した。
1番センター柴田、2番レフト高田、3番ファースト王、4番サード長嶋、5番ライト末次、6番ショート黒江、7番セカンド土井、8番キャッチャー森、9番ピッチャー高橋善。
長嶋引退試合はダブルヘッダーだった。上記はその2試合目のスタメンである。当時の巨人のレギュラーを、私は今でもすらすらと言うことが出来る。アンチ巨人とは形を変えた巨人ファンである。
あの日、長嶋は、「わが巨人軍は永久に不滅です」と言った。
彼にとって不滅なのは、野球というスポーツでも、日本のプロ野球という興行体制でもなく、巨人軍だった。
彼が率いた巨人軍は1975年に最下位になった。長嶋を失った巨人は弱くなった。その後セリーグを2連覇したが日本一にはならず、それから3年間優勝から遠ざかった。
アンチ巨人としては張り合いが無くなった。
1978年、広岡監督のもとヤクルトスワローズが優勝し、これだと思った私はヤクルトファンになって現在に至る。
一方の長嶋は1980年に巨人の監督を辞めた。その後に当時の大洋、ヤクルトが監督就任を切望したが、巨人に拘り続けた。彼にとって永久なのは巨人なのだ。
そして1993年、巨人の監督に復帰した。
二度目の巨人監督を退任したのが2001年。この頃から日本野球界の様相が変わった。毎日ゴールデンタイムの地上波で、巨人戦を放映していたテレビ界ではなくなっていった。
野球は絶対的な娯楽から比較的人気のあるスポーツに変わり、巨人は球界の盟主から比較的人気のあるチームに過ぎなくなり、テレビは娯楽の王様から滑り落ちた。
そして今、長嶋が亡くなった。
長嶋亡き後の日本野球はどうなるのか。
アンチもひっくるめて無我夢中で日本人の大多数が長嶋を追いかける、そんな時代はとっくに終わっていた。
野球界がこれからどうなるのかはわからない。だがわかっていることがひとつある。過去はかえらないということだ。二度と。
偉大な存在が消えてしまった。まずは、哀悼の意を表するところである。
長嶋に。そして、長嶋がいたあの時代に。
敬称略で書く。自分の意識では長嶋としか言えないのだ。長嶋と言えば他にいないのだ。それだけ長嶋茂雄は巨大なイメージなのだ。
野球ファンの一人として、彼が亡くなったことに対して、私は何か書かなければならないという義務感にさらされている。彼はそんな存在だった。
私は1960年代の前半に生まれた。長嶋の選手引退は1974年。私が小学校高学年の時だ。私は彼の現役時代になんとか間に合った世代である。
あの頃、私はアンチ巨人だった。
テレビで毎日巨人戦ばかりやっていた。そしてテレビが当時最大の娯楽だった。私の周囲は9割が巨人ファンで1割がアンチ巨人だった。
彼が現役だった頃の巨人は強かった。引退する前年の1973年まで9年も日本一であり続けた。昨日と同じように巨人は勝ち、今日と同じように明日も勝つ。毎日毎日勝ち続ける。それが嫌でならなかった。強いものが、ただ強いものが勝ち続ける絶望的な日々が、いつまでもいつまでも続くように思われた。そしてたまに巨人が負けると梅雨の間の晴れ間に出会ったような気分になる。それが当時のアンチ巨人だった。
やっと1974年に連覇が終わった。その時は嬉しかった。そしてその年に長嶋が引退した。
1番センター柴田、2番レフト高田、3番ファースト王、4番サード長嶋、5番ライト末次、6番ショート黒江、7番セカンド土井、8番キャッチャー森、9番ピッチャー高橋善。
長嶋引退試合はダブルヘッダーだった。上記はその2試合目のスタメンである。当時の巨人のレギュラーを、私は今でもすらすらと言うことが出来る。アンチ巨人とは形を変えた巨人ファンである。
あの日、長嶋は、「わが巨人軍は永久に不滅です」と言った。
彼にとって不滅なのは、野球というスポーツでも、日本のプロ野球という興行体制でもなく、巨人軍だった。
彼が率いた巨人軍は1975年に最下位になった。長嶋を失った巨人は弱くなった。その後セリーグを2連覇したが日本一にはならず、それから3年間優勝から遠ざかった。
アンチ巨人としては張り合いが無くなった。
1978年、広岡監督のもとヤクルトスワローズが優勝し、これだと思った私はヤクルトファンになって現在に至る。
一方の長嶋は1980年に巨人の監督を辞めた。その後に当時の大洋、ヤクルトが監督就任を切望したが、巨人に拘り続けた。彼にとって永久なのは巨人なのだ。
そして1993年、巨人の監督に復帰した。
二度目の巨人監督を退任したのが2001年。この頃から日本野球界の様相が変わった。毎日ゴールデンタイムの地上波で、巨人戦を放映していたテレビ界ではなくなっていった。
野球は絶対的な娯楽から比較的人気のあるスポーツに変わり、巨人は球界の盟主から比較的人気のあるチームに過ぎなくなり、テレビは娯楽の王様から滑り落ちた。
そして今、長嶋が亡くなった。
長嶋亡き後の日本野球はどうなるのか。
アンチもひっくるめて無我夢中で日本人の大多数が長嶋を追いかける、そんな時代はとっくに終わっていた。
野球界がこれからどうなるのかはわからない。だがわかっていることがひとつある。過去はかえらないということだ。二度と。
偉大な存在が消えてしまった。まずは、哀悼の意を表するところである。
長嶋に。そして、長嶋がいたあの時代に。
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