最後の晩餐

 先代の、というか初代の霧島関だったと思うんですけどね。現在の陸奥親方。違っていたらごめんなさい。現役を引退される時にですね、「これでもう食べなくていい」って言ったらしいんですよ。

━━ほう。

 相撲取りは食べるのも仕事だった。その仕事をもう無理やりしなくていい。そういう意味らしいんですね。その時、時代は変わったなと思ったんですね。

━━昔はそうじゃなかった。

 相撲取りは腹一杯食べられる。だから弟子入りする、という話が戦後しばらくは多かったんですよ。だから当時は貧しい地方出身の力士が結構いたらしいです。それが初代霧島関の頃にはもう変わっていた。調べてみます。初代霧島関。1959年生まれ。初土俵は1975年。大関昇進が1990年。引退は1996年。もうこの時期になると戦中戦後の食べるものがない時代は遠い昔になっていたんですね。それでね、最後の晩餐、って本になっていたじゃないですか。私、出た時に読みました。

━━それはどうも

 1999年ですね、発行は。あれでインタビューされたかたのうち、戦中戦後の飢餓を潜り抜けてきた人、っていうのはみなその話をするんですね。それだけ飢える、っていうのは強烈な体験だったんですね。ところがその体験の結果が違う。

━━そうでしたか。

 例えば樹木希林さんは、食べるものが無い時代があったから、食べることに執着しなくなったと言う。ところが大橋巨泉さんは、あの時期を経たから食べることに執着するようになった、と言う。ひょっとすると、所謂食いしん坊になるかならないか、っていうのは遺伝子で決まっていて、どんな体験を経たかは関係ないのかもしれない。ただ、飢えた記憶だけは共通して鮮明に覚えている。その後は全然違っても。

━━なるほど

 なんでこんな話をしているかというと、私の両親が二人とも昭和一桁生まれなんですよ。戦中戦後に食うものがなくてどれだけつらかったか、という話をずいぶん聞かされました。

━━ご両親はちょうど育ちざかりの一番食べたかった頃に、食べるものがない時代にぶつかったんですね。

 そうです。それでうちの親は、自分たちがした苦労を自分の子供たちにはさせたくないと、懸命に食べさせようとしたんですよ。それでね、さらに悪いことに私は子供の頃、体が弱くてよく風邪ひいて寝込んだりしていたんです。うちの親はろくにものを食べられなくて死んでいった人たちを何人も見てきた。だからこの子の体が弱いのはご飯を食べる量が少ないからだと思い込んだんです。

━━それでどうなりました。

 私に無理やり食べさせようとしたんです。何才だからこれぐらい食えるはずだ。四歳上の姉がいましたからね。男の子だから四年前の娘よりもこの息子は食べなければならない。でもその出された量が私には多くて食えないわけです。ご飯一杯だけじゃなくて他にみそ汁と魚、たとえばサンマ一匹とかと漬物、五歳児くらいからもうそれだけ食えと用意されました。それで食べないでいることが許されないんです。食べるものがない時代を経た者にとって、食べ物を残すことは罪悪なわけです。私はよくご飯ふたくち分くらい残して、もう食べられなくてじっとそれを見つめていました。すると父親が言うわけです。はなくそのぶんくらい残して、と。その言い方が嫌でね。ますます食えない。でも許してもらえない。最後は無理矢理食べました。ご飯を無理にのどに通すと、うぇっとなるんですよ。毎食毎食、食卓が苦痛でなりませんでした。

━━それはそれは

 あれは家庭内いじめだったんじゃないかな、と思うこともあります。丈夫な子供にしようとする善意の仮面を被って、家の中で一番弱い立場だった年下の自分をいじめてたんじゃないかと。

━━いつまでそれが続きました

 出された食事を全部食べられるようになったのは中学生になるかならないかぐらいでしたか。成長期に入ってようやく、という感じです。それでね、子供の頃のそうした経験のせいだと思うんですけど、私、ハングリー精神というものが、かけらもないんですよ。

━━ああ、腹を空かせたことがないから

 相手に勝ちたい、自分を認めさせたい、人に褒められたい、重要な地位につきたい。なんかそういう意識に欠けているんですね。ハングリーになったことがないからかなと思うんです。

━━それが、子供の頃の経験のせいだと

 まあ、先ほどの話みたいに、ハングリー精神を持つかどうかというものも、ある程度遺伝子で決まっていて、毎食後ごとに無理やり飯を食った経験とはあまり関係ないのかもしれませんけどね。

━━ああ、なるほど。さて、それで最後の晩餐ですが、何を食べたいですか

 それね。番組を見ていてずっと疑問だったんですよ。その最後の晩餐って、どういう状況だろう。明日、死ぬことがわかっていて、これが最後の晩餐だということですか。でも例えば、死ぬときに認知症で何を食べているのか自分でわからない状態になっているかもしれない。あるいは、今夜がヤマ場です、親しい方を呼んでください、みたいな、病院のベッドで今にも死にそうな時に、何を食べたいもなにもないじゃないですか。病院で病状が急変して亡くなる、ってこともあるでしょう。それなら前の晩に何か病院食を食べたんでしょうが、それなら希望がどうあれ、出されたものを食べたんだろうということだろうし。

━━どんな晩餐が最後になるかわからないのが現実だろうと

 ええ。イエスキリストは、弟子たちとする晩餐はこれが最後だとわかっていたから、パンを「取って食べよ、これはわたしのからだである」と言うことが出来たわけでね。じゃあ、例えば高名な占い師に明日あなたは死にますと言われたとしましょう。私、そもそもその占いを信じないと思いますよ。信じたとしても、どうやってその運命を避けようかとじたばたして晩餐どころじゃなくなると思います。あるいは明日彗星が落ちて人類みな滅びます、という話かな。でもそういう時は世界中パニックで食材が手に入るかどうかわからない。それでもシェルターなり洞窟なりを探して助かる確率を上げようとするのかなあ。

━━最後の晩餐をどう考えるかですか

 それでね、最後の晩餐になる状況というのを考えました。どこかの高級ホテルの地下にレストランがある。そこで大地震が起きて出口が封鎖されてしまった。自力ではとても出られない。そこに専門の建築家がいていろいろ調べる。これはとても出られない。さらに悪いことに梁などに亀裂が入っていて、数時間後には地下室ごと潰れる。そこで自分たちは全滅だと。そんな時にレストランのコックが叫ぶんです。俺は最期まで働いて死にたい。だからここで料理を作る。幸いにガス水道電気、用力は全部生きている。ここにはどんな食材でもある。和洋中どんな食事でも作ることが出来る。さあ、最後の晩餐だ。お客さんたち、何を食べたいか言ってくれ。

━━ほう、考えましたね

 それでね、めいめい食べたいものを勝手に言うんですよ。例えば、「お父さんの握ってくれたおにぎり」

━━「かもめ食堂」ですね

 子どもの頃、母親が作ってくれた汁をもう一度飲みたい。

━━「劇映画 孤独のグルメ」だ

 よくご存じで

━━それで、あなただったら、最後の晩餐で何を食べたいんですか

 何もいらないです。「これでもう食べなくていい」と言って死にます。



 久米宏氏が亡くなられた。
 ニュースステーションではある時期、金曜日各界の著名人に「最後の晩餐で何を食べたいか」というテーマでインタビューをするコーナーがあった。文中にもある通り、一部は本にまとめられた。
 久米宏氏自身は1944年生まれ。日本が戦中戦後の飢餓から脱し、食生活がみるみるうちに改善していく過程で成長していたものと思われる。だからこそ食に対して、他の人はどう思っていたのかに強い関心があったのではないかと想像される。
 私は著名人ではないから誰かのインタビューを受けることはないし、仮にあったとしても出たいとは思わない。しかし、この「最後の晩餐」というコーナーには、出て話したいと思ったことがある。
 追悼の意味でそれを書いてみた。もちろん、久米宏氏が目の前にいたのであれば、彼は遥かに鋭いツッコミを入れ、私はそれに右往左往したに違いない。

 最後になったが、久米宏氏に対して、心から哀悼の意を表するものである。

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